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ならしの豆知識(日本ではじめて)

更新:2010年11月2日

日本で初めて

写真 鷺沼上空を飛行

◆女流飛行士第1号
 稲毛海岸(千葉市)にあった民間飛行場で活躍した伊藤音次郎は、大正4年(1915年)1月に「伊藤飛行機研究所」をつくりましたが、大暴風雨で壊れてしまいます。
 そこで大正7年(1918年)4月に鷺沼海岸(習志野市)に移り、飛行機の研究や製作に尽くしました。同地には、飛行士を育てる鈴木飛行研究所もでき、多くの飛行士が巣立っていきましたが、この中にNHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」のモデルになった女流飛行士第1号の兵頭精(ただし)がいました。飛行大会などでは、彼女を一目見ようと会場が満員になったそうです。

写真 山縣飛行士殉空の地の石碑

 また、伊藤音次郎の一番弟子である山懸豊太郎は、民間初の宙返り飛行を成功させるなど天才飛行士として絶賛されていましたが、連続3回宙返りの際に翼が折れて、鷺沼の畑に墜落死してしまいます。その死は新聞の号外で報道され、一般の人々にも大変惜しまれました。現在もその場所に「山縣飛行士の殉空の地」の石碑が建っています。

写真 ソーセージの製法伝授

◆ソーセージ発祥の地
  大正3年(1914年)、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、日英同盟を結んでいた日本は、イギリス・フランス・ロシアの側に付き、中国・青島のドイツ軍を攻撃します。そのとき捕虜になった約5千人のドイツ人が日本各地に収容されました。
 習志野には大正4年(1915年)9月に300名余りが送られてきたのをかわきりに、多いときには1千名近くのドイツ人捕虜がいました。
(詳しくは習志野俘虜収容所ページへ)
 収容所長の西郷寅太郎(西郷隆盛の嫡男)は、武士の情けをもって彼らを人道的に扱ったため、収容所内に畑を作り、ビールやワインを作り、劇団やオーケストラをつくるなど、実に多彩な活動を行っていました。
 大正7年(1918年)2月には、彼らの中にいたソーセージ職人によって、ソーセージの作り方が初めて公開されました。

写真 日米野球チーム、谷津球場での記念撮影

◆読売巨人軍発祥の地
 昭和9年4月、読売新聞社社長正力松太郎氏が日本野球界発展と健全娯楽育成のためにベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いる全米オールスターチームを招へいすることにしました。
 同年8月には谷津遊園内に球場が完成し、六大学選手を中心に編成された全日本チームが、全米チームとの対戦に備えて合同練習を行います。そして11月3日に谷津球場にて練習試合が行われました。
 伝説の大投手、沢村栄治を擁する全日本チーム対スーパースター軍団、全米チームとの試合とあって収容人員3千人のところに2万人が集まり大混乱となったそうです。

写真 巨人軍発祥の地の石碑

 翌年、全日本チームが母体となって、日本発のプロ野球球団「大日本東京野球倶楽部」が発足します。米国遠征途上に「東京ジャイアンツ(巨人軍)」と改称し、これが現在の読売ジャイアンツとなったのです。
 正力松太郎氏の願いが叶いプロ野球リーグが開催され、巨人軍も谷津球場をホームグラウンドとして活躍します。その後、谷津球場は取り壊され、現在は跡地につくられた谷津バラ園入口脇に歴史を伝える石碑が建っています。

写真 宙返りコースター

◆谷津遊園に宙返りコースター
  昭和52年(1977年)に日本初の宙返りコースターとして華々しくお目見えしました。そもそも谷津遊園は、開園当初から画期的なアイデアを多く導入するなど、娯楽施設として大変なにぎわいをみせていました。
 開園は大正末期と古く、昭和に入ってからは、シンボルとして楽天府(千葉市に現存)という娯楽場をつくり、海水プールもできるなど、さらににぎわいを増していきます。また、同じころ無声映画の大スターだった阪東妻三郎の「大日本自由映画プロダクション・阪妻関東撮影所」があり、多くの作品が制作され、近所の住民も多数エキストラで参加していたそうです。

写真 昭和42年頃の谷津遊園

 昭和26年(1951年)に淡水プールが新設され、菊人形展、バラ園、フラワーカーニバルが開かれ、マンモスプール、ジェットコースターなど次々に開設され、園内は関東一円からの日帰り客でいつもいっぱいでした。
 黒字経営の谷津遊園でしたが、親会社の京成電鉄とアメリカのディズニーとの間で東京ディズニーランドの建設計画(昭和58年開園)ができ、昭和57年(1982年)に幕を閉じることになります。大好評だった日本初の宙返りコースターもわずか5年という短い年月で撤去されましたが、引き取られた先で活躍しているとのことです。

写真 上空から見た谷津干潟

◆ラムサール条約登録地 干潟で初
 谷津干潟は、1993年に干潟として日本で初めてラムサール条約登録湿地に指定されました。
 谷津干潟は、埋め立て時にとり残された約40ヘクタールの干潟です。2本の水路で東京湾につながっており、高層住宅と高速道路に挟まれ独特な景観になっています。都市部の干潟が、ラムサール条約に登録されることは世界的に非常に珍しく、まさしく鳥たちにとって都会のオアシスといえるでしょう。
  ここには、ゴカイ・貝・カニ・魚そして水鳥などたくさんの生き物たちが生息しています。東京湾や他地域で絶滅したものや絶滅危惧種が、ここ谷津干潟で元気に活動しています。

写真 干潟で羽を休める鳥たち

特に水辺の鳥の中でも干潟に飛来するシギ・チドリ類が多く見られることで知られていますが、シベリアなどの北の国と東南アジアやオーストラリアなどの南の国を行き来する旅鳥にとって谷津干潟は渡りの途中の中継地として大変重要な場所となっています。
 干潟周辺は生態観察公園として観察路などが整備され、周囲に約3.5キロメートルの観察コースもあります。また、干潟の南側にある谷津干潟自然観察センターからは干潟が一望でき、指導員による案内も行っています。

問い合わせ先

このページは商工振興課が担当しています。
所在地:千葉県習志野市鷺沼2丁目1番47号
電話:047-453-7395 FAX:047-453-5578

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お問い合わせ

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〒275-8601 千葉県習志野市鷺沼1丁目1番1号 電話:047-451-1151(代表)
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