東京、1999年12月6日
海軍大佐 ライムント・ヴァルナー
ドイツ連邦共和国大使館 国防武官
「ドイツ人戦没兵士を悼む日本人の姿」
日本における慰霊祭
1999年11月14日、ドイツの国民哀悼の日である。東京湾に面した町にある習志野墓苑に例年のように千葉日独協会の会員が集まり、1915年から1919年にかけてこの地で生涯を終えた30名のドイツ人兵士の死を悼んだ。
この地で亡くなったのは主に、帝国海軍の第3海軍大隊及び海軍分艦隊の兵士と将校たちであった。亡くなったのは戦いの中ではなかった。というのは、戦いは1914年11月7日日本軍の青島占領により終結していたからである。亡くなったのは、当時英国と同盟関係にあった、新興の海軍国の戦争捕虜としてである。約200名の将校を始め、4,000名以上の下士官・兵卒・民間人が収容されていた。上記の30名のドイツ人は劣悪な扱いを受けて亡くなったわけではない。反対に、大切な客が受けるあらゆる特権――もちろん移動の自由は除いて――を享受したのである。彼らの多くは1919に収容所内で流行したスペイン風邪の犠牲となった。千葉日独協会の会員の一人が大事に保存した当時の写真を拡大し、墓碑の隣に誠に印象的な形で展示しているが、これからも習志野にいたドイツ人たちの活動を窺い知ることができる。収容されていたドイツ人たちはまもなく、そのソーセージやパン・ケーキ、体操、ビール、そしてとりわけ収容所オーケストラで有名になった。彼らは習志野地区及び日本の文化活動の中で確固とした地位を築き、その結果今日でもなお毎年12月に市民会館でベートーベンの第九交響曲が――当然のことながら「歓喜の歌」はドイツ語で――演奏されているほどである。
第2次大戦後、墓地は日本の旧帝国陸軍元大佐と自衛隊第一空挺団の有志によって守られてきた。現在では千葉日独協会が後見人となっている。最後に亡くなった兵士の埋葬後80年を経たこの日、千葉日独協会の会員たちが例年のように11月の陽光を浴びて国民哀悼の日に集まり、ドイツ駐在武官と共に慰霊祭を催した。スピーチがいくつか行われ、日独両国民の友好、出席者全員が抱いているドイツに対する親近感、幸運な再統一に対する喜びなどが話題となった。ドイツ国歌が響き、続いて「良き僚友」の歌が流れる中戦没者30人全員の名前が読み上げられた。私は前任者同様に、例年のごとく国民哀悼の日に駐日ドイツ大使の名代で献花をしている。飾らず、それでいて厳かな式典に私は深い感銘を受けた。われわれドイツ人が地球の裏側にこのような友人を持っていることを知っておくことは大切である。
場所は変わって、死者哀悼の日曜日の前日である1999年11月20日、東京の南にある港町横浜の根岸外国人墓地。当地のライオンズクラブ会員と立野小学校4年生及び立野中学校2年生の児童・生徒約50人が、1942年11月30日に横浜港で犠牲となった補給艦「ウカマルク」のドイツ人乗員16名の墓前に集まった。「ウカマルク」号が爆発した時、この補給艦と仮装巡洋艦「トーア」(10号艦)が並んで停泊していた。弾薬を満載した「トーア」号も同じ運命をたどった。この16人のほかに、さらに犠牲となった両艦の乗員45名並びに仮装巡洋艦「ミヒェル」(28号艦)及び他のドイツ軍部隊での死者10名は、近接する山手外国人墓地に埋葬された。「ミヒェル」号は1943年10月に横浜沖で沈没した。
児童・生徒たちは自ら進んで、この土曜の午後に例年のように外国人墓地の落ち葉の片づけを行った。この作業が終わると、神奈川新聞の石川記者の言葉に皆耳を傾けた。石川記者はこの事故の調査をライフワークとし、最近はこれに関する本まで出版している。拡大した写真を手に事故の背景を説明した後、当時造船所の技術者で現在86歳になる斉木氏を目撃者として紹介した。斉木氏は少し腰が曲がってはいたが、すさまじい爆風や東京からも見えたという巨大な雲の塊について語りだすと活気にみなぎり、聞いている子供たちを惹きつけた。斉木氏の話以上に信頼できるものはない。プリーツスカートにセーラー服――日本ではこれが女子中学生の制服である――の女子生徒二人が私のために花輪を持ってくれた。
ここでの式典もやはり厳かなものであった。子供たちは、自分たちの祖父母の年齢ほどのライオンズクラブの会員と共に、あたりまえのように、遠い昔の外国人船乗りの死を悼んだ。日本人にとって、亡くなった人とのつながりは自然なことなのである。家族から離れてひとりだけで異国の地に骨を埋めなくてはならなかったことに思いをはせ、日本の人たちは格別の感動を禁じえない。仏教の考えでは、これは哀れな魂が安住の地を失うことであり、この魂を供養することが慈悲の精神である。
ここに眠る兵士の霊は今年はいつもより喜んでいるかもしれない。というのは、短い間に2回も栄誉を称えられたからである。10月15日にドイツ海軍参謀総長ルソー中将が日本公式訪問の中、ドイツ連邦国防大臣の名代で献花した。
ライムント・ヴァルナー