習志野収容所長は、西郷寅太郎大佐であった。彼は西郷隆盛の嫡子であり、父が反逆者として敗死した後、明治天皇の思召しでドイツの士官学校に留学していた経験を持ち、ドイツに深い理解を持っていた。そればかりでなく、戦争の悲惨さや敗れた者のみじめさも、身をもってよく知っていたのである。
何よりも無為に過ごすことをきらう勤勉なドイツ人らしく、習志野に収容された約1,000名の将兵は、日本側が用意したバラックの他に、広大な構内にラウベ(あずまや)と呼ばれる小屋を作り、演奏会や演劇を行う野外ステージを作り、バラックとバラックの間には菜園を作り、ビールまで醸造して、多彩な生活を過ごしていた。印刷所ではフリッツ・ルンプが、日本情緒あふれる絵はがきまで作っていたのである。