大正3年(1914)、第一次世界大戦の戦雲はヨーロッパ中を巻き込んだばかりか、遠く東アジアまでを覆い尽くした。明治維新から半世紀にもならない日本は、日英同盟によりイギリス、フランス、ロシアなどの連合国側に立って参戦し、日本の近代化に大きな影響を与えていたドイツと戦うことになった。中国・山東省のドイツ租借地・青島が、日独戦争の焦点となった。
同年11月、日本軍の猛攻の前に青島は陥落し、ワルデック総督以下約5,000名のドイツ将兵が捕虜となった。彼らは日本に送られ、久留米、福岡など12の捕虜収容所に収容された。習志野に彼らが収容されたのは、翌4年(1915)9月のことであった。東京・浅草本願寺に収容されていた将兵に加えて、福岡、久留米、静岡、大分の各収容所から習志野へ移送が行われたが、その中には、日本に向けて親善訪問の途中で開戦に巻き込まれてしまったオーストリア・ハンガリーの軍艦「カイゼリン・エリーザべト」の乗組員も含まれていた。
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